多文化コンシェルジュ名鑑

和田園子

出身国  :日本

言語   :英語・日本語







富士山を未来に残すために自分にできること

 私は舞阪生まれの舞阪育ちで、学生時代の4年間を除いて、ずっと現浜松市に住んでいます。

 大学卒業後就職をしましたが、中学生の頃からアメリカで生活をしたいという夢があり、仕事を辞めて6か月間、カリフォルニア・ロサンゼルスへ語学留学をしました。帰国後仕事を探しているとき、英会話を習おうと訪ねた英会話学校でセクレタリーの仕事をみつけ、そのままそこに18年半勤めました。

 その間、翻訳や通訳の仕事ももらったのですが、6か月間の語学研修だけでは通用しないことを痛感し、そこから本格的に英語の勉強を始めました。浜松には通訳翻訳養成のための学校がなく、週2回名古屋まで通って通訳や翻訳の勉強をしました。これまでの人生の中で、あの時ほど勉強をした時期はありません。

 そのおかげで英語通訳ガイド試験に合格し、また、今の仕事にまでつながっています。
2年前にHICEニュースで「国際理解教育ファシリテーター養成講座」という講座案内を見て、「ファシリテーター」とは何なのかを知りたくて講座を受講しました。その受講を通じで、世界に存在する様々な問題を、参加型学習で学ぶワークショップ作りをするグループに参加するようになりました。

 ちょうど「多文化共生」をテーマにワークショップを考えているとき、「多文化コンシェルジェのための日本語教室(日本人も可)」のちらしを見て何かヒントになるのではと考えたことが、この講座の受講につながりました。

 舞阪生まれ・舞阪育ちのため、客観的に浜松を見るということをしてきませんでしたが、浜松周辺在住の通訳ガイド仲間と知り合い、浜松を訪れた人たちを通じて「浜松の”まち”を世界に伝えよう!」という考えを持つようになりました。
 それからは、それまで気にもしていなかった古い石垣や、石碑にも目を向けるようになり、私の住む舞阪にも江戸時代の石垣が残っていたり、子供の頃に遊んだ神社の大きな石が、実は日本神話のなかにでてくるものだと知りました。           

 子供の頃には、「ただ古いもの」としか見えていなかったものに、歴史の重みを感じられるようになり、舞阪の地味な町並みも歴史の宝庫だと考えられ、今は誇りを持って世界に紹介したいと思っています。
 よく「まち歩き」をしている人たちが、私の家の前の道、旧東海道を歩いています。「東海道を踏破する」という人たちにも出会いました。舞阪町の住民ではない人たちのほうが、舞阪生まれ・舞阪育ちの私よりずっと舞阪の価値を知っていることにも気づきました。

 今年6月に富士山が世界文化遺産に登録されました。
 静岡県の事業で「富士山ガイド養成講座」という講座が、9月末から11月中旬までの土曜日に5回、三島で開催され、その講座を受講して静岡県登録富士山ガイドの修了証をもらいました。養成講座では、それまで知識のなかった古事記や日本書紀に出てくる神様や、富士山信仰にまつわる様々な歴史や文化をいろいろ知ることができました。
 世界遺産登録はゴールではなく、これから未来に「富士山とその周辺の構成資産」を残していくための出発点と習いました。100年後、200年後の人たちに富士山を世界遺産として残していくために、今の私ができることは、次の時代を担う子供たちに知ったこと、体験したことを伝え、託していくことだと考えます。
 浜松は富士山から距離があり、毎日富士山を眺めている静岡県東部の人たちほどの熱意を富士山に持てないでいると思います。私が多文化コンシェルジェとしてやりたいことは、浜松周辺に住む子供たちや大人たちと、富士山周辺の文化遺産を巡るバスツアーを企画し、案内をしていくことです。参加者の国籍を問わず、多文化コンシェルジェのクラスでいっしょになったクラスメイトの協力も仰いで、通訳付で案内をしていけたら、だれもが楽しめる企画になると思います。先人たちが残してくれた文化を知ることで、「富士山を未来に残すために自分たちができることを見つける」という意識を高めてもらえるツアーができたらよいと思います。
 先にも書きましたが、富士山の文化は山の文化にとどまらず、宗教・芸術・歴史にも関わってきます。外国人にも、そして日本人にとっても、日本や日本人をよりよく理解する機会につながると信じます。




 

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